ペトルーチオの企みは新庄監督に通じる〜シェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし 』(第2回)

ペトルーチオの企みは新庄監督に通じる〜シェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし 』(第2回)テラさん教授の読書の楽しみ(お話:寺島悦恩 セリフ:安野由記子&宮ヶ原千絵 聞き手&音楽:小林範子)

(寺島悦恩氏によるシェイクスピアのじゃじゃ馬ならしシリーズ2回目。安野由記子/宮ヶ原千絵二人の俳優とともに)
今日は『じゃじゃ馬馴らし』の2回目です。二幕一場です。
逆玉狙いを標榜するペトルーチオ、父親バプティスタに姉娘のじゃじゃ馬、悪魔のようなガミガミ女のキャタリーナをここに連れてきてほしいと頼む。
ここから有名なペトルーチオとキャタリーナの猛烈な舌戦が始まる。バトルですね。
このバトルの場面を女優の安野さんと宮之原さんのお二人にやっていただきましょう。ただ、全部は長くて無理なので一部割愛して皆様にお送りします。

(安野由記子/宮ヶ原千絵二人の俳優による声劇が入ります)

先週も三幕について少し触れたのですが…
さあ、ここから、やっぱりいい作品だなあということがわかってくる。シェイクスピアはうまい。なるほど凄い。いろんな意味で規格外だと思う。

さて、先週もお話ししましたように、結婚式当日、花婿ペトルーチオはヴェニスからなかなか戻って来ない。あのじゃじゃ馬花嫁キャタリーナが、私は騙された、パドヴァ中の笑い者だわと泣き始める。  ところが、ちゃんとペトルーチオは戻ってくる。  しかし、その格好がすさまじい。馬は凄まじいオンボロ馬。規格外。めちゃくちゃ。よく、バサラというがもうひどい。かぶく。オンボロぶりが凄まじい。
とんでもないがたがたの駄馬に乗ってきたのだ。花嫁はじゃじゃ馬。これに対して花婿ペトルーチオはオンボロ馬に乗って。先週も言いましたが、何ともうまい。
横光利一は『春は馬車に乗って』だが。花婿ペトルーチオはオンボロ馬に乗って。
これも先週言いましたが、『じゃじゃ馬馴らし』のどの台詞、どの場面がいいかといえば、実に天邪鬼だが、私はここを選びたい。ルーセンショーの召使いビオンデロは、戻ってきた花婿ペトルーチオの異様な姿をこう描写している。

新品の帽子に古い上着、三度も裏返ししなおした古ズボン、ちびた
蝋燭入れになってたおんぼろブーツ、しかも片方はバックル留めでもう片方は紐で結ぶやつ。
町の武器庫から持ち出した錆だらけの古い剣、しかも柄は壊れ、鞘
は無く、切っ先は欠けてふた股になっている。乗った馬の腰は
抜けてるわ、鞍は古くて虫食いだわ、鎧は左右ちぐはぐだわ。

おまけにその馬、鼻疽にかかって末期症状、上あごが腫れて、
鼻面はできものだらけ、脚の球節はふくれ上がり、関節はただれ、黄疸に苦しみ、耳下腺炎はもう処置なし、脚はふらつき、腹には虫がわき、背骨はひんまがり、肩の骨ははずれ、前脚の膝はぶつかり合い、くつわのはみは緩み、面がいは安っぽい
羊の革、それもつまずかないようにやたら引っ張ったもんだから、何度も切れて結び目だらけ。腹帯には六箇所もつぎが当たり、しりがいは女もののビロードで、前の持ち主の頭文字が二つ麗々しく鋲ではめ込んであり、そいつがぼろぼろなんで、あっちこっち縄でつないだってしろもの。バプティスタが、誰か連れはいるのか?と聞くと、ビオンデロ はい、旦那様、下男が一人。そいつがまた馬に負けず劣らずの奇抜ないでたちでして。片方の脚にはリネンの靴下、もう片方には粗織りのウールの靴下、両方とも赤と青の紐でぐるぐる縛ってある。帽子は古いうえに、羽根飾りのかわりにぴらぴ
らしたリボンが四十本もついてる。化け物です、衣装をつけた正真正銘の化け物、キリスト教徒の下男でも紳士の従者でもありゃしない。

みんなは呆れ果て、着替えて結婚式に出るよう説得するのだが・・・。
花嫁の父親バプティスタが聞く。
「しかし、そのままで式を挙げるつもりじゃないだろう」と。

しかし、ペトルーチオは平然とこう言ってのける。

もちろん、このままで。だからもうつべこべ言わないでくれ。結婚相手は私なんだ、私の服じゃない。このみすぼらしい服を着替えるのは簡単だ。いずれケイトがせっせと使う私の持ち物も同じようにすぐ修繕できれば、彼女は喜ぶだろうし、私としても万々歳だ。

また、この一言は聞き逃し、見逃してはいけないだろう。どうして、こんなところに修繕という言葉が出てくるのか?不思議な台詞。まるで鋳掛屋。

ふと思い出されるのは、一休禅師の金襴の袈裟という面白いエピソード。こういうのは洋の東西を問わないのでしょうね。大金持ちの主人が汚い着物を着た乞食姿の一休さんを、一休さんとわからず追い返した。翌日、同じ一休さんが金襴の袈裟姿で行くと、主人が平身低頭で迎え入れた。大枚のお布施を差し出す主人に、一休さんは「お布施は、この衣と袈裟に上げてくれ」と言い、衣と袈裟を置いて帰っていったという痛快な話。
桂枝雀『天神山』に登場してくるヘン吉の源助という変わり者の姿。頭の半分はツルツルに剃り、片方は毛をボウボウとのばしている。着ているものと言えば、四季の着物というらしく、肩のところは一重、腰のところは合わせ、裾のところは綿入れ。一年中着てられる着物。足袋は片方は白足袋、片方が紺足袋。オマル弁当にしびん酒を持ち、花見ではない、墓見にいく。石塔や塔婆を見て一杯飲みに行くのだと。


考えてみれば、ペトルーチオは大いなる道化、規格外の道化なのかもしれない。
ペトルーチオの規格外の仮装!
ペトルーチオは大いなる過激な道化、規格外の道化!トリックスター。いたずらもの。実は、キャタリーナも大いなる過激な道化!素晴らしい道化同士、トリックスター同士の戦いとも読める。
また、復習しておくと、道化とは、ざっくり言えば、ノモス、つまり、慣習やら規範、因習を壊し、人間の本来のありようを示してくれる者、あるいはノモスだけにとらわれがちな人間に対し、フィジス、つまり自然というものを教えてくれる存在だと言える。カウンセラー的な役割ができる人でもある。
シェイクスピアは実に素晴らしい道化をたくさん生み出したが、カウンセラー的道化の典型は、シェイクスピア最高の喜劇『十二夜』の道化フェステ。
 道化フェステは、彼の仕える女主人オリヴィア姫に対し、「慣習」による「自然」の抑圧、ときほぐそうとする。1幕5場の有名な場面。
オリヴィア姫が亡き兄の服喪にひたりすぎ、あまりにも痛々しい。 
 
フェステ:お嬢さま、何を嘆いておいでです。 
オリヴィア:お兄さまの亡くなったことよ、道化。 
フェステ:お兄さまの魂は天国でしょうね。 
オリヴィア:もちろんそうよ、お道化さん。 
フエステ: いえ、お道化さんはそちらでしょう、お兄さんの魂が天国にいらっしゃるのにお嘆きになるなんて。これ、そこの者ども、ここな道化を連れてゆけ。

この後、オリヴィア姫はすぐに男装してセザーリオとなっているヴァイオラに一目惚れする。喜劇的だが、カウンセリングの効果は甚大だった。

ペトルーチオは言いたいだろう。わが辞書に「同調圧力」などという言葉はない。
日本ハムの新監督に就任が決まった新庄剛志さんも、「同調圧力」と無縁の新監督像を作り出そうとしている。
  さて、結婚式当日のこの奇妙キテレツな仮装こそ、ペトルーチオとっておきのじゃじゃ馬の人生観をひっくり返す妙手だったのかもしれない。
どうして、最後の場面でキャタリーナはあんなに人が変わって従順になってしまったのか。単なるパフォーマンスか。
この芝居の最後で、女性とはどうあるべきかを語り、女性は従順であるべきなのだと大問題になりそうな長い台詞を喋る。ここだけをとると、非常に扱いのむつかしい芝居。キャタリーナはバトルに負けてしまったのだろうか。
 すでに、19世紀の終わり頃、バーナード・ショーが、「現代の感覚からすると、最後の場面は、強い嫌悪をおぼえる」と言っているぐらいだから。
 しかし、シェイクスピアはしたたかに用意周到。聞き逃しちゃいけないのは、この劇の本当に最後の最後の台詞。最後は妹ビアンカの夫になるルーセンショーの次の台詞。ビアンカも実はなかなかしたたかなのだが。
 
 奇跡だ。言っちゃなんだが、この先もあの人はこんなふうに飼い慣らされていくのか。

鋳掛屋はどこかに行ってしまった。
一種のオープンフォーム、開かれた終り方。
むろん、四幕一場で、ペトルーチオは自分の企みを述べている。ひどい話だが、野生の鷹の調教と同じというわけ。まず、キャタリーナには食べさせず、とことん腹を好かせておく。もう一つはとことん眠らせない。この二つで、従順な妻が仕立てあがるという寸法。それもあるだろうし、これまた奇妙キテレツな言葉のレッスンをやる。ある対象についてペトルーチオが当て嵌めた言葉は正しいというやつ。ペトルーチオが太陽は月だといえば、太陽は月になり、ペトルーチオがあの老人は娘だといえば、老人は娘になる。こういう言葉のレッスンもやるんだが。

 先取りしていえば、四幕三場、ペトルーチオはこう言っている。
  仕立て屋が持ってきたキャタリーナの服を、けちょんけちょんに叩き、仕立て屋をこき下ろし、罵倒した後の台詞!
ジーンとくる実にいい台詞。これこそペトルーチオの真実なんだろう。
場所は、むろんペトルーチオの別荘。

さてと、ケイト、お父さんのところへ行こうか、飾らなくていい、普段着のままでいいんだ。財布の中身はたっぷりでも、着るものは質素に、だって体を豊かに飾るのは精神だからね、ちょうど太陽が真っ黒な雲を突き破って光を放つように、美徳はどんな粗末な服を着ていても顔をのぞかせる。カケスはヒバリより貴いだろうか、カケスの羽のほうが美しいというだけで?毒蛇は鰻より上等だろうか、毒蛇の彩り鮮やかな皮が目を楽しませるというだけで?違うよ、ケイト、君だってそうさ、いくら着てるものが粗末でアクセサリーが貧弱でも、それで君の価値が下がるわけじゃない。それが恥ずかしいなら、僕のせいにすればいい。だから、ぱーっと行こう。これからすぐ出かけて、お父さんのところで飲んだり食べたり楽しくやるんだ。
 
三幕のとんでもない結婚式も桁外れ。
吉本新喜劇より面白いと先週も言ったのですが、まずリュートを頭に叩き込む三幕のめちゃくちゃな結婚式どこから変わっていったか花嫁キャタリーナはブルブル震えるばかり、ちゃんとした中心はあるのだろうかとね。

ホーテンショーは、さっさとビアンカを諦め、未亡人と結婚することにした
その未亡人が言う。

序幕の鋳掛屋のクリストファー・スライってシェイクスピア自身じゃないの!
鋳掛屋って、鍋やヤカンの修繕屋のことだからね。
スライは、観客席に座って、この芝居を鋭く見つめ、修復したがっている。
ペトルーチオも修復士、修繕屋なんだ。
ラジオ川越番組『kawagoelive にじのちきゅう』2021年11月9日放送分より。