川越のお話と手作り音楽で取り上げますのは、九十川と伊佐沼や川越電気鉄道のお話しです。九十川は新河岸川(しんがしがわ)にそそいでいますが、水源は芳野の伊佐沼(いさぬま)でした。九十川のいわれは、伊佐沼から新河岸川までの間が、九十も曲がりくねっていたことからだそうです。「続 川越の伝説」 川越市教育委員会発行「南古谷(みなみふるや)ところどころ」
九十川(くじゅうがわ) (詩 柿沼宏 曲小林範子)
南古谷を 流れる川は
どうして そうして 呼ばれたの
南古谷を 流れる川は
どうして そうして 呼ばれたの
くねくね曲がって曲がって 九十も
曲がって くねった 川だから
九十川は南古谷を流れる「九十川(くじゅうがわ)」は新河岸川(しんがしがわ)にそそいでいますが、水源は芳野(よしの)の伊佐沼(いさぬま)です。九十川のいわれは、その名のごとく伊佐沼から新河岸川までの間が、九十も曲がりくねっていたことからだそうです。かつては新河岸川の上流部であってまたかつては新河岸川の旭橋下流にて合流していました。 昔は川越電気鉄道が九十川を横断していました。川越電気鉄道は明治39年(1906)に川越大宮間を走る鉄道として開通しました。明治時代後半から昭和初期にかけての約30年間、川越と大宮の間を運行しました。前身である川越馬車鉄道(旧西武大宮線)は、明治35年に新河岸川の舟運業者である綾部利右衛門らによって開業され、設立時の役員構成は大半を川越町の商人が占めていました。明治36年には、社名を川越電気鉄道と改称し、川越~大宮間は明治39年(1906)4月に開業しました。川越電気鉄道は全長12.9kmの路線を所要時間50分で結び、一日に28往復していたそう.