よりみち八幡みんぶいなり〜川越八幡宮の民部稲荷の歌(作詞寺島悦恩:作曲小林範子)
1 虹の向こうの 八王子 民部さまの お屋敷に 毎晩出かける 小坊主しんぼち あんなとこお寺が あったかな それでもおしょうさんは お礼に ごちそういっぱい おもてなし 民部さまを おまねき 2 民部さまは ごきげん ひとつ相撲でも とろうかな 強かったあら勝った また勝った民部さま いちようの下の 民部さま いちょうの葉っぱも きらきら 大判小判も きらっきら 花手水(はなちょうず)には てまり花(紫陽花) *ご利益(りやく)いっぱい 民部さま ぼんしん山 川越へ はちまんえんまん きらりきらり コンコンカップル ご成婚
民部稲荷のお話です。 八王子のあるお寺に新発地(しんぼち)という小坊主がおりました。毎晩どこかへ出かけてゆくので、住職が尋ねると「西のおやしきに住む民部さまのところ」と答えます。はて西には山ばかりのはず…不思議に思いながらも住職は、お礼をしたいからと民部さまをお寺へ招待することにしました。 次の晩、民部さまがお供と一緒にやってきて宴のあと、民部さまのお供と寺の坊主たちと相撲をとりましたところ、お供は強くて一度も勝てませんでした。その翌朝、小坊主が庭そうじをしていると赤や白の毛が散らばってました。おどろいた住職が民部さまにたずねると「わたしは狐。正体を見破られもうここには住めません。これより川越の梵心山にへ逃げてゆきます」と小坊主に別れを告げ、お礼に盆の上に山のように積んだ小判を差し出しました。 これが、もと梵心町(現在新富町二丁目)にあった民部稲荷の伝説で、昔からこのお稲荷様を信仰すれば必ずお金持になるといわれまた打身、挫きにも霊験あらたかで、願をかける時は相撲の絵馬をおさめることになっています。 日本での相撲の誕生は、神話の時代にさかのぼります。奈良時代には、宮中で年中行事の一つとして相撲節会(すまいのせちえ)という催しが開かれるようになり、毎年、七夕の時期に全国各地から精鋭の相撲人を集めて盛大な行事として相撲が行われていましたそうですが、土俵には神が宿るとされ、行司は祝詞を奉上し、供物を捧げて場所中の安全と興行の成功、さらには国家の安泰、五穀豊穣を祈念するそうですが、民部稲荷のお話しはどこからきたのでしょうか。 この由緒あるお稲荷様の新社殿造営を機会に地域自治会と丸広百貨店が相談のうえ丸広百貨店屋上に御遷座申し上げ、家内安全、商売繁昌のお稲荷様として末永く奉祀することとなりました。