シェイクスピア「十二夜」第5回~楽しい言葉の達人〜フェステと林家木久扇さんと:テラさん教授の読書の楽しみ(お話:寺島悦恩)

喜劇『十二夜』を読む楽しさは、日本テレビの人気番組『笑点』の大喜利を見る楽しさと同じです。
『笑点』では、それぞれの落語家さんの役割が実にうまくプロデュースされています。円楽さんは少し悪役、小遊三さんはちょっとエッチと言うように、それがわかると、ますます楽しい。ああ、またやってるという感じですね。
黄色いおじさん、真ん中の林家木久扇さんですね。おばかさんとか、頭が空だとかカリカチャー、戯画化、誇張した漫画のように仕立てられていますけど、木久扇さんは、いつも実にシャープにわざと面白くさせてくれている名人ですね。木久扇さんは、退屈になりそうなタイミングを見計って、ずばり笑わせ、退屈の虫を吹き飛ばす人です。
「アッ、今つながったなど」と木久扇さんはよく言って笑わせます。
あの「18歳と81歳の違い」。これはあまりにも有名になってしまいましたが、この『笑点』の大喜利から出たと言われています。そのなかからいくつか。

自分探しの旅をするのが18歳、出掛けたまま分からなくなり、皆が探しにくるのが81歳  
道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳  
心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳  
偏差値が気になるのが18歳、血糖値が気になるのが81歳  
ドキドキが止まらないのが18歳、動悸が止まらないのが81歳
恋で胸を詰まらせるのが18歳、餅で喉を詰まらせるのが81歳 
早く「二十歳」になりたいと思うのが18歳、できることなら「二十歳」に戻りたいと思うのが81歳

私は木久扇さん大好きなので、少しお話をしますと、もう二十年も前になりますか、歌人の俵万智さんと木久扇さんのお二人が、いや、木久扇さんがまだ木久蔵さんと言っていた頃ですが、お正月のNHKで、日本にある西洋名画の旅という番組があり、倉敷の大原美術館の前から中継したことがありました。
その時、木久扇さんはよく美術館に行きます。森林浴とよく言いますが名画浴ですね、これをすると一日気分がいいとおっしゃってました。
これが木久扇さんの本来の姿です。
『笑点』の大喜利ではカリカチャされた姿で出ているのです。こんなことは、この番組を聞いておられる方は皆さんご存知のことですが。
でも、これが、この『十二夜』というお芝居を読むときに、実に大切なことなのです。

と言いますのも、作者シェイクピアが一見するとまったく矛盾して書いているようなところが実はあるのです。
三幕一場です。後で、ここにサー・トービーとサー・アンドルーが登場してくる。サー・トービー やあ、ご機嫌よう。ヴァイオラ そちらこそ。サー・アンドルー  Dieu vous garde, monsieur.(神のご加護がありますよう)ヴァイオラ  Et vous aussi : votre serviteur.(あなたにも。どうぞよろしく)サー・アンドルー  いや、恐れ入ります、僕もです。サー・トービー  この邸へ参上なさるところかな?我が姪も貴殿のご入来を切に望んでおる。ご用件は姪に関わることであろう。

 ここではっきりともう明瞭にわかる。何がわかるかというと、作者シェイクピアの巧みな人間の描き方です。
ある時には、カリカチャー、戯画化、漫画のように仕立てているということがよくわかる。ある時には本来の姿を描く。だから明らかに矛盾して見える。
ここでのサー・アンドルーが本来の姿でしょう。
ここの三幕一場では、サー・アンドルーは立派なフランス語で挨拶をしています。ヴァイオラも、フランス語で挨拶するという紳士の嗜みをここで示しています。
ところがです。
この場面よりずっとよく知られた一幕三場の飲んだくれのどんちゃん騒ぎ、執事マルヴォリオが頭に来て叱りつけるあの場面の後では、サー・アンドルーは、プルクワって何?とサー・トービーに聞いています。Why? なぜ?という意味の実に簡単なフランス語です。
サー・アンドルーがそんな単語を知らないはずは絶対ない。
つまり、作者シェイクピアは、わざと三幕一場と一幕三場では登場人物に明らかに矛盾したことをやらせているのです。
ということは、一幕三場の方では、作者シェイクピアは、これらサー・アンドルー、サー・トービーたちをカリカチャ、戯画化して見せてくれているということです。

こうしたことが、この『十二夜』というお芝居を見たり読んだりするのになぜ大事かというと、マルヴォーリオいじめとよく言われる脇筋をどう見るかということと関わるからです。
作者シェイクピアは、にせ手紙にまんまと騙され、黄色い靴下をはき、十字の靴下留をつけ、ニヤニヤ笑いを作り、オリビア姫の前に出て、とんでもないことをしでかし、悪魔にされ、コケにされるというやりすぎぐらいの間抜けなマルヴォーリオという、いわゆるキャラを作った。
しかし、一方で、用意周到、しっかり、サー・トビー・ベルチや、 その遊び仲間サー・アンドルー・エイギュチーも間抜け人間としてカリカチャして見せている。
単純にどちらがいいとか悪いとかは言っていない。
オリビアだって、七年も喪に服すという人物にしたてています。
このお芝居における最も重要なセリフの一つは、マルヴォーリオの最後の言葉です。「復讐してやる、どいつもこいつも」。
このお芝居は最後に二組の結婚式が挙げられるめでたい喜劇です。でも、解決のつかない、オープンフォームの形式もとっています。
『じゃじゃ馬ならし』




さて、喜劇『十二夜』に、古代の祭儀や中世のカーニバルのような爆発的なエネルギーはありません。無論、飲んだくれのサー・トビー・ベルチや、 その遊び仲間サー・アンドルー・エイギュチークとフェステとの馬鹿騒ぎはあって、これに執事マルヴォーリオはおかんむり!

今回は、3幕1場でのヴァイオラと道化フェステとの会話の見事さからみてみることにしましょう。道化フェステの頭は冴え渡って切れ味抜群。
女伯爵オリヴィア邸の庭園です。小太鼓を持った道化とオーシーノのお使いのヴァイオラ(男装してセザーリオという名ですが)が登場してきます。
さあ、面白い言葉のバトルが始まります。ヴァイオラは道化に負けません。言葉の達人!やはり、切れ味抜群!
ただし、言っておきますが、例の、毎回このコーナーで触れているトレヴァー・ナン監督のイギリス映画の名作では、フェステに小太鼓は持たせておりません。フェステは実にエレガントなセンス抜群の道化なので、丸坊主ですが、小太鼓は似合わないとトレヴァー・ナン監督は考えたのでしょう。
ヴァイオラ  やあ、ご機嫌よう、君の音楽もご機嫌だね! 君はその小太鼓のお蔭で暮らしてるの?道化 いや、教会のお蔭で暮らしてるんだ。ヴァイオラ  じゃあ神父さん?道化  それほどのもんじゃない。だけど教会のお蔭で暮らしてる。俺が暮らしてる家は教会の蔭に建ってるんでね。ヴァイオラ  だとすると、乞食が王様の宮殿沿いに住んでれば、王様は乞食と添い寝してることになるし、君の太鼓が教会の壁に立てかけてあれば、教会は君の太鼓に寄りかかってることになるね。

 実にこのヴァイオラのセリフはいいですね。常識的な階級の上下や、大と小をもうすっかりひっくり返してしまっている。
 SDGsで大切なのもこういうことでしょ。ミミズ君が肥沃な黒い土をつくってくれているんです。そんなに人間がいばることはないんですね。
バスキアという、ブラックピカソと呼ばれ、若くして死んでしまったアメリカの天才現代アーティストがいます。彼は、レオナルドダヴィンチも尊敬、ちゃんと解剖学にも目をむけているんですが、ざっくりいうと、人間もノミもヒルもそう変わりはない。そういった考えも
今の大人気のバンクシーもそう、すごい風刺の力であべこべにして良い作品を作っている。

 

道化  こりゃ一本取られたね。道化にとっちゃ世も末だ! 頭のいいやつにかかっちゃ、気のきいた言い回しも手袋同然――あっと言う間に裏返しにされちまう!

しかし、さすが、フェステ、一本取られたとは言うけれど、見事な手袋の比喩で仕返しをする。少し飛ばして。

ヴァイオラ  君はオリヴィア様の阿呆だよね?道化 とんでもない、オリヴィア様は阿呆とは無縁だよ。結婚すればご亭主って阿呆をかかえることになるだろうが。阿呆と亭主はイワシとニシン、違いは大きさだ、亭主のほうがバカでかい。俺はオリヴィア様の阿呆じゃない、言葉のこじらせ屋ってとこだ。ヴァイオラ こないだオーシーノ様のお邸で会ったよね。道化  阿呆ってのは、おてんと様みたいに地球の上を歩き回る。どこだってまんべんなく照らすんだ。阿呆光線がうちのお嬢様だけに当たって、あんたのご主人に当たらないんじゃ不公平だからな。確かに、あそこでお利口なあなた様にお目にかかりました。ヴァイオラ やだな、僕を馬鹿にするんだね、もう君の相手はごめんだよ。はい、お疲れさま。(コインを一枚渡す)道化  神様が、今度世の人々に毛をお恵みになるときは、あんたに髭を授けられますよう!ヴァイオラ  確かに、僕は髭のある顔にあこがれてるよ。(傍白) この顔に生やしたいわけじゃないけど。お嬢様はご在宅?

 『リア王』の道化の素晴らしさ!

道化  こいつが夫婦になれば子供が生まれるんじゃないかな?ヴァイオラ  そうだね、貯めといて貸せば利子って子を生む。道化  俺が取り持ち役になって、このトロイラスにクレシダをめあわせたいんだがな。ヴァイオラ  分かったよ、ねだり方がうまいなあ。(コインをもう一枚渡す)道化  ねだるったって大したことないさ、乞食をくれってねだっただけだ。クレシダのなれの果ては乞食だからな。お嬢様はご在宅だ。あんたがどこから来たか取りついでやろう。あんたが誰で用事が何かは、俺にとっちゃ対岸のカジキマグロよ。「火事」って言うとこだけど、もう言い古されてるんでね。 (道化は退場していく)ヴァイオラ あの人は頭がいいから阿呆の役ができるのね。阿呆をうまく務めるには、それなりの知恵がいる。冗談を飛ばすにしても、相手の気分、人柄や地位、時と場合を見極めなきゃならない。そして、鷹のように、目の前を横切る獲物に飛びかからなくては。気骨の折れる仕事だわ、賢い人が詩や文章を書くのと同じくらい。あの人が知恵を使って見せる阿呆ぶりはあざやかだけど、賢い人が阿呆くさいことをすればせっかくの知恵も台無し。(ラジオ川越2021年12月2日放送分)