谷川俊太郎の「カッパ」、芥川龍之介の「河童」その1:テラさん教授による読書の楽しみ(お話:寺島悦恩)

前回「くしゃみをする」という言葉が、谷川俊太郎さんの1952年出版の処女詩集におさめられた、大変有名な「20億光年の孤独」という詩にも、また「生きる」という詩にも出てきますということをお話しし、ユーモラスだと申したのですが、本日も、まず、詩人谷川俊太郎さんの1973年出版『ことばあそびうた』から「カッパ」という短い、ユーモラスな詩を取り上げてみたいと思います。

かっぱかっぱらったかっぱらっぱかっぱらったとってちってたかっぱなっぱかったかっぱなっぱいっぱかったかってきってくった

カッパというと、いたずら者という印象が強いですが、谷川さんは、それを非常に見事に言語化しておられます。
 現代詩というものは難解で、読者がつかない。
 考えてみると、日本語のもっている音の豊かな要素を現代詩は全然顧みていない、意味偏重になっている。 そこで日本語の音のおもしろさや豊かさを感じられるような詩を作ろうとした。ダジャレに近いような事をやらないと音がおもしろく聞こえない。そうして、『ことばあそびうた』が生まれた。
現代詩というものから少し離れたが、読者からは大変喜ばれた。
もう一作品、本当に誰も知っているというぐらいよく知られた「いるか」も。

いるかいるかいないかいるかいないいないいるかいつならいるかよるならいるかまたきてみるか
いるかいないかいないかいるかいるいるいるかいっぱいいるかねているいるかゆめみているか
さて、カッパに戻りますと、やはり、遠野のカッパを取り上げるべきでしょう。
 柳田國男『遠野物語』の中に出てきます。カッパはいたずら者で、結構ドジです。
57川の岸の砂の上には川童の足跡というものを見ること決して珍しからず。雨の日の翌日などはことにこの事あり。猿の足と同じく親指は離れて人間の手の跡に似たり。長さは三寸に足らず。指先のあとは人ののように明らかには見えずという。
58 小烏瀬川の姥子淵の辺に、新屋の家という家あり。ある日淵へ馬を冷しに行き、馬曳の子は外へ遊びに行きし間に、川童出でてその馬を引き込まんとし、かえりて馬に引きずられて厩の前に来たり、馬槽に覆われてありき。家のもの馬槽の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば川童の手出でたり。村中のもの集まりて殺さんか宥さんかと評議せしが、結局今後は村中の馬に悪戯をせぬという堅き約束をさせてこれを放したり。その川童今は村を去りて相沢の滝の淵に住めりという。
○この話などは類型全国に充満せり。いやしくも川童のおるという国には必ずこの話あり。何の故にか。
59 外の地にては川童の顔は青しというようなれど、遠野の川童は面の色赭きなり。佐々木氏の曾祖母、穉かりしころ友だちと庭にて遊びてありしに、三本ばかりある胡桃の木の間より、真赤なる顔したる男の子の顔見えたり。これは川童なりしとなり。今もその胡桃大木にてあり。この家の屋敷のめぐりはすべて胡桃の樹なり。

カッパの大好物はきゅうりということになっていて、遠野のカッパ淵では、きゅうりで河童釣りができます。果たして釣れるかどうか、釣れたらどうしようとのドキドキ感がいいですね。
遠野市では、カッパ捕獲許可証まで発行しています。きゅうりの入った海苔巻を河童巻というのもカッパの大好物がきゅうりだからだそうですが、きゅうりの切り口がカッパの頭のお皿に似ているからとの説もあるそうです。
さて、谷川俊太郎さんのカッパ、遠野物語のカッパと来れば、次は、芥川龍之介の短編『河童』でしょう。
 ある狂える人の話という作りになっています。

 三年前の夏のことです。僕は人並みにリユツク・サツクを背負ひ、あの上高地の温泉宿から穂高山へ登らうとしました。穂高山へ登るのには御承知の通り梓川を溯る外はありません。僕は前に穂高山は勿論、槍ヶ岳にも登つてゐましたから、朝霧の下りた梓川の谷を案内者もつれずに登つて行きました。

 そうした霧の深い熊笹のなかを勇んで進んで行ったのですが、お腹も空いてきたので主人公は、梓川の谷へ下り、岩に腰をかけ、コオンド・ビイフの缶を切つたり、枯れ枝を集めて火をつけたり、――そんなことをしているうちにど霧は晴れかかりました。

 僕はパンを噛じりながら、ちよつと腕時計を覗いて見ました。時刻はもう一時二十分過ぎです。が、それよりも驚いたのは何か気味の悪い顔が一つ、円い腕時計の硝子の上へちらりと影を落したことです。僕は驚いてふり返りました。
すると、――僕が河童と云ふものを見たのは実にこの時が始めてだつたのです。僕の後ろにある岩の上には画にある通りの河童が一匹、片手は白樺の幹を抱へ、片手は目の上にかざしたなり、珍らしさうに僕を見おろしてゐました。 僕は呆つ気にとられたまま、暫くは身動きもしずにゐました。河童もやはり驚いたと見え、目の上の手さへ動かしません。そのうちに僕は飛び立つが早いか、岩の上の河童へ躍りかかりました。

主人公は、何とカッパを捕まえようというのです。

僕は三十分ばかり、熊笹を突きぬけ、岩を飛び越え、遮二無二河童を追ひつづけました。

僕は滑かな河童の背中にやつと指先がさはつたと思ふと、忽ち深い闇の中へまつ逆さまに転げ落ちました。が、我々人間の心はかう云ふ危機一髪の際にも途方もないことを考へるものです。僕は「あつ」と思ふ拍子にあの上高地の温泉宿の側に「河童橋」と云ふ橋があるのを思ひ出しました。それから、――それから先のことは覚えてゐません。僕は唯目の前に稲妻に似たものを感じたぎり、いつの間にか正気を失つてゐました。 そのうちにやつと気がついて見ると、僕は仰向けに倒れたまま、大勢の河童にとり囲まれてゐました。