ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』のもとになった手書き本『地下の国のアリス』(お話:寺島悦恩)

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』のもとになった手書き本『地下の国のアリス』(お話:寺島悦恩)

前回、芥川龍之介の『河童』が、地下の河童国だったというお話をしましたが、その続きとして、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』のもとになったキャロル手書き本『地下の国のアリス』について再びもう少しお話しようと思います。

アリスは、地下に墜落するわけですが、そこではヘンテコなことばかりが起きます。 第一、アリスの身体は大きくなったり、小さくなったり、大きくなると9フィート、つまり約3メートルにもなってしまい、悲しくて泣きだすのですが、涙の粒も大きい。涙の池になってしまいます。 そうしたら、いつのまにか、ウサギの白い手袋が自分の手にはまっていて扇子まで持っていて、どんどん縮んでいく、あわてて扇子を放り投げると、およそ2フィートの身長だった。 そうこうしているうちに、さっきできた涙の池にアリスは落っこちてしまいます。

ネズミも泳いでいます。 「このネズミに話しかけてみたらどうかしら」とアリスは思ってね、「ここじゃあ何もかも変ってるんだから、ネズミが口をきくことだって、大いにありうるじゃないの。どのみち、試していけないってことはないし」そこでアリスはこうきりだした、「おうネズミよ、この池から出る方法をごぞんじかしら? あたしもう、すっかり泳ぎくたびれちゃったの、おうネズミよ」(ネズミによびかけるにはこうでなくちゃ、とアリスは思ったんでね。こんないいかたなんて、いままでしたことないけれど、いつか兄さんのラテン語の文法書にこう書いてあったのを思い出したんだ。

ネズミは――ネズミの―ネズミに――ネズミを――おうネズミよ! 「たぶん英語がわからないのね」とアリスは思ってね、「きっとフランスのネズミで、ウィリアム征服王といっしょにわたってきたんだ」(歴史の知識を総動員したって、アリスには何がいつごろ起ったかなんてまるであやふやだった)そこでまた、こんどはフランス語できりだした、「ウ・エ・モン・シャット?」と、これはフランス語の読本のいちばんはじめにでてきた文章だ。

ネズミはいきなり水からはねあがり、もうおびえちゃって歯の根もあわぬありさまらしい。「あら、ごめんなさい!」アリスはネズミの気をそこねてわるいことをしたと思って、大あわてで、「あなたがネコぎらいなの、すっかりわすれてて」 「そうねえ、たぶんきらいでしょうよ」アリスはなだめるようなロぶりになって、「気をわるくしないでね。でもやっぱり、うちのダイナをお見せできればと思うわ。ダイナに一目会えば、あなただって、まんざらネコぎらいでもなくなるはずよ。とってもおとなしいんですもの」 アリスは池をのんびり泳ぎまわりながら、ぺらぺらと、半ばひとりごとのように喋りだすからネズミは本当に怒りだす。

ネズミは、こんどは全身の毛をさかだてて、これはてっきりほんきで怒りだしたらしい。「お気にさわるんでしたら、もうダイナの話はやめましょうね」 「まるでこっちからそんな話をしかけたみたいなことぬかしやがって。

おれの一族はだな、ネコとは不倶戴天の仲なんだ、あのきったねえ、いやしい、無法者めらが! もう二度とあいつらの名はきかせてくれるなよ」「もういいませんてば!」

アリスは大いそぎで話題を変えようとして、「あのう、あなた、「あのう――あのう―じゃあ犬はおすき?」 ネズミが返事してくれないので、アリスはけんめいになって、「うちの近くに、すごくかわいいちっちゃな犬がいるの。見せてあげたいわ。目のぱっちりしたテリヤよ、ね、こんなに長い茶いろいちぢれっ毛で! 何か投げてのやればちゃんと拾ってくるし、おすわりでも、おあずけでも、なんでもできてよーいま半分も思い出せないけど。お百姓さんとこの犬なの。ね、とっても役に立つんだって、飼主もいってるわ。百ポンドもするんですって、その犬。

ネズミだってかたっぱしからやっつけるし、―あっ、どうしよう!」 アリスは思わず悲鳴をあげて、「また怒らせちゃったみたい!」ネズミはもう死物狂いでアリスから遠ざかろうとして、さかんに池の水をばしゃばしゃやっているところだった。

アリスはそこで、うしろからやさしくよびかけてね。「ネズミさん!おねがい、戻ってきてよ。お気にさわるんだったら、ネコの話も犬の話もやめにしましょう!」ネズミはこれをきくと、まわれ右して、ゆっくりとアリスの方へ戻ってきたけれど、顔は涙まっさおでね(やっぱり怒ってるんだ、とアリスは思ったよ)。

ネズミは低い声をふるわせて、いうことに、「岸にあがろうや。それからおれの話をきかせてやる。そうすればおれが犬、ネコをきらうわけもわかるだろ」あがるには汐時だった、というのは、池はだんだん、落ちこんだ鳥やけものたちでこみあってきてね。アヒルもドードーもいれば、インコもワシの子もいるし、ほかにも何種類か、めずらしい生きものがいる。

アリスが先にたって、みんなは岸へ泳いでいった。 こうしてアリスは、ネズミの身の上話を聞くことになります。 といって、『地下の国のアリス』のネズミの身の上話は、なぜ猫も犬も嫌いなのかというネズミのお話は、出版された『不思議の国のアリス』より、残酷で可哀想なのです。 出版された『不思議の国のアリス』での長くて悲しいネズミの身の上話は、こうなっています。

なぜ、長いかというと、ネズミのしっぽは長い。話はtale、しっぽはtail、この二つの単語の言葉遊びになっているのです。内容はこういうこと。 イヌのフュリーが、ネズミに家のなかで出くわしていった、「2人いっしょにでるところへでよう。おまえを告訴してやる。いやだといってもだめだ。どうあっても裁判する。ほんとうに今朝はすることがなんにもないんだから」。

ネズミはイヌにいう、「旦那、そんな陪審員も判事もいない裁判なんて、徒労というもんだ」。 するとずるイヌは答える。「俺は、自分で判事も陪審員もかねる。俺が訴訟をとりしきり、お前に死刑判決にしてやるぞ」。 やっぱりネズミのしっぽのように、クネクネと曲がった形で書かれています。 いわゆるパターンポエムというものです。

お酒の詩を、ワイングラスの形、パターンで書くというものです。 希望とか未来というテーマなら鳥の翼のパターンで書こうというものです。 『地下の国のアリス』の方のネズミの身の上話の内容はこうです。 イヌとネコがやってきて、マットの下でぬくぬくと住んでいたネズミを1匹残らずペシャンコに踏みつぶして殺してしまったというお話です。

だから、ネズミは、イヌとネコの両方が嫌いなんだと悲しそうに語ります。 このように『不思議の国のアリス』は始まります。 当時、子供たちにとって、今のような童話はありません。 中流以上の子供たちは、いつもフランス語、ドイツ語などの家庭教師たちに取り巻かれています。 船遊びにしても、キャロル以外の物わかりの良くない大人と一緒だと、しょっちゅう陳腐な詩を暗唱させられたりしたと言われます。

実際、ティナ・マジョリーノがアリスを演じ、ウーピー・ゴールドバーグがチェシャ猫を演じた1999年の映像作品では、水キセルをふかす芋虫の前で、アリスが桂冠詩人ロバート・サウジーの詩の面白いパロディーを暗唱させられている場面があります。 「ウイリアム父さん歳くった」というものです。

原作では結構長いので、前半の部分だけをご紹介すると、 「ウィリアム父さん歳くった」若いむすこがいったとさ「髪の毛だってまっしろなのにいまだにしょっちゅう逆立ちばかりちょいとお年に似合わぬが」 ウィリアム父さん返事して「若いうちこそおっかなびっくりオツムいためちゃたいへんだものいまじゃオツムもすっからかんなんのまだまだやってみせるぜ」 「くどいようだがもういいお年」若いのがまたいった「おまけによくもふとったもんだだのにわざわざでんぐり返しでご入来とはどういうわけで」 かしこいじいさんシラガふるわせ「若いうちから手足もしなやかこの膏薬のおかげだよ一箱につき一シリングさどうだおまえも二つ買わんかね」「もういい年であごもふがふが脂身かじるがやっとのはずよ」

アリスはこういうコミカルな詩を暗唱させられ、ずいぶん違っていたと芋虫からピシャリとやられる。 19世紀後半の当時の子供達は喜んだと思います。こういう楽しい童話なぞなかったのですから。 また、この映画で芋虫を演じているのが、イギリスが誇る名優ベン・キングズレーなのも非常におかしい。こんなちょい役によく出たものだと思うぐらいです。

ここで折に触れて紹介してきました、あのシェイクスピアの映画『十二夜』、トレヴァー・ナン監督の1996年の映画で道化フェステを演じていた名優ベン・キングズレーです。 ウーピー・ゴールドバーグについても言えるのですが、ウーピー・ゴールドバーグの方は、チェシャ猫ですから、まだたびたび出てきて、ちょい役よりはもうちょっとマシという感じ。