『不思議の国のアリス』と挿絵画家ジョン・テニエル(お話:寺島悦恩)

前回の続きですが、1864年、挿絵も自分で描いた手書き本『地下の国のアリス』を作った後、1865年『不思議の国のアリス』を出版するにあたって、作者ルイス・キャロルはなかなかの戦略的な考え方をしました。 この本が売れるにはどうしたらよいかということです。 当時、風刺漫画誌『パンチ』で風刺漫画を手がけ、大変売れっ子だった画家ジョン・テニエルに『不思議の国のアリス』の挿絵を依頼したのです。 挿絵のせいもあって、『不思議の国のアリス』は人気となったのです。

(挿絵はOiginal illustration of Alice's Adventures in Wonderland, by John Tenniel 1865)


だから二匹目のどじょうを狙ったのかもしれません。
7年後の1872年、『鏡の国のアリス』を出版する際にもキャロルはやはりジョン・テニエルに挿絵を依頼したのです。
ルイス・キャロルとジョン・テニエルとの間で率直な意見が交わされたことはよく知られています。
『鏡の国のアリス』は二人の共同作業の側面があります。

例えば、キャロルはテニエルに対し、「アリスにはこんなにたくさんクリノリンのついたスカートをはかせないでください」とか、「白の騎士はひげを生やしていてはなりません。彼は年寄りに見えてはならないのです」などという手紙を書いた。テニエルは、スカートについてはキャロルの意見に従って描き直したが、白の騎士についてはそのままにした。  

他方、キャロルは、作品の内容に関わるテニエルの意見をいくつかとり入れた。話としてもおもしろくないし、かつらをかぶったスズメバチなど、どう描いていいかわからないとテニエルが異を唱え、この部分を削るべきだと忠告すると、キャロルはそれに従っています。

また、客室が突然空中に飛び上がったとき、アリスが「老婦人の髪」ではなく「ヤギのひげ」をつかむようにしたほうがよいのではないかとテニエルが提案すると、これもキャロルは受け入れています。

さて、『不思議の国のアリス』では、ペンキ塗りの面白い場面が出てきます。
女王様の庭に、へまをして白ばらを植えてしまい、白ばらを赤くペンキを塗ってごまかそうとしていた庭師たちは、なかなか残忍で、すぐに死刑を宣告する女王を目にするや、地べたに顔をふせ、べたりとひれふして身を隠そうとします。

赤薔薇、白薔薇と言いますと、15世紀、イギリスでは約30年にわたる薔薇戦争がありました。
ランカスター家が赤薔薇、ヨーク家が白薔薇を記章としていたので薔薇戦争と呼ばれます。
最終的に、赤薔薇のランカスター家の血をひくチューダー家のヘンリー7世がヨーク家を破り、1845年即位します。

翌年、ヘンリー7世は王位を安定したものにするため、ヨーク家の王女と結婚し、チューダー朝を開きます。
ランカスター家とヨーク家は統合されたわけで、外側にランカスター家の赤薔薇、中にヨーク家の白薔薇を配したチューダー・ローズという記章が使われることになります。
このチューダー朝からやがてエリザベス1世が登場してくるということになります。

さて、ルイス・キャロルも挿絵や絵画というものを非常に大切に考えたわけですが、ここからは美術館についてのニュースを。

この2月2日、大阪中之島美術館が開館しました。大阪万博を控え、素晴らしいことです。
中之島美術館は構想から40年、長らく大阪市立近代美術館建設準備室という形で続き、ようやく開館したのです。

堂島川と土佐堀川に挟まれた中州(なかす)にあって、田蓑橋近く。もう少し東に歩くと鉾流橋近くには、大阪市立東洋陶磁美術館があります。
大阪市立東洋陶磁美術館には素晴らしい安宅コレクションがあります。
このように、中州は大阪の文化芸術の拠点として整備が進んでいます。
中之島美術館は遠藤克彦設計。地上5階建ての漆黒の直方体。
開館記念展のタイトルは、「超コレクション展」。

とにかく贅沢。まず、大阪出身で、30歳で夭折した、かの佐伯祐三の大コレクターだった実業家山本発次郎のコレクションが遺族によって一括寄贈されています。
もちろん、佐伯の代表作「郵便配達夫」を含め佐伯作品8点も「超コレクション展」に並びます。
もともと、大阪市の新美術館構想は、1983年に山本発次郎の遺族が大阪市にそのコレクションを寄贈したのをきっかけに動き出したものです。
それ以来、モディリヤーニ、ルネ・マグリット、ダリ、ジャコメッティ、フランク・ステラ、バスキアなどなどが収集され、この「超コレクション展」でも、これらの作家の名作がずらりと並びます。