良寛の手紙より〜読書の楽しみ(お話しと書:寺島悦恩)

読書の楽しみということで、前回は、川喜田半泥子『随筆泥仏堂日録』(講談社文芸文庫)を取り上げましたが、古美術という面から、平凡社から出ています雑誌『別冊太陽』シリーズから1997年の冬号、「101人の古美術」を取り上げてみたいと思います。

                                                                                                                  (書:寺島悦恩)
さて、古美術をめぐる書物、雑誌は、人気もあり、たくさん出版されていますが、この「101人の古美術」を取り上げてみようと思ったわけは、江戸時代の禅僧良寛の素晴らしい書が取り上げられているからです。
 もう本当にはじめて見て、びっくりした書です。
 日本画家安田靫彦氏が愛蔵しておられた禅僧良寛の手紙です。和歌一首が書かれた手紙です。署名がカラス、宛名がスズメへというユーモラスな手紙です。

 かしましとおもてぶせにはいひしかど この頃みねば恋しかりけり

カラスは良寛のことで、スズメは現在の長岡市で酒造業を営み、俳人でもあった、富裕な山田杜皐のおくさんで、およしさんという人だと言われています。良寛と山田家とは大変親しく、お酒付きの良寛はよく夕方になると山田家をおとづれてお酒を頂戴していたのです。
 およしさんは、良寛をカラスとも、蛍とも呼んでいたようです。およしさんは、元気がよく、おしゃべりで、お互い、からかいあっていたようです。
 
 良寛という人は、江戸時代18世紀半ばから19世紀の天保まで生きた人。出雲崎(新潟県三島郡出雲崎町)に名主・橘屋の長男として生まれたが、18歳の時、突然出家、やがて曹洞宗岡山県円通寺の国仙和尚のもとで修行、33歳で印可を受ける。托鉢によって放浪の旅を続け、48歳で現在の燕市の国上山(くがみやま)の五合庵に住まう。この頃から、小野道風の秋萩帖、懐素の自叙帖をよく学んだと言われます。やがて坂の上り下りがきつくなり、60歳頃、現在の燕市の乙子(おとご)神社境内の草庵に住まい、70歳からは、木村元右衛門の邸内に住んだ。

 書だけを見ても、良寛はイノベーターですね。非常に新しい。私自身、書に関心があり、自分でも書きます。麻布十番で、まだ一回だけですが個展もやったことがあります。今はその暇もなく、なかなか書を書きませんが。